2015/11/06

すべてがIになる

本記事タイトルは「すべてが~になる」の形式を拝借したいがため
無理やりこじつけたものであり、そこに深い意味などは無い。
また、該当作品に関するネタバレは一切含まないよう配慮してあるので、
そこの原作未読諸君も気にせずこの駄文を読んでいって貰えると嬉しい。
なお、私は森博嗣著 S&Mシリーズの大半を読んでおらず、
ドラマ版の「すべてがFになる」も1~2話以外未視聴であることをあらかじめ断っておく。



皆さんは自身の"人格"について考えた事はあるだろうか?
気にも留めたことが無い人も居れば、つね日頃意識している人も居るだろう。
そんな "人格" について、つい最近、思い知らされる出来事があったため、
これからそのしょうもない話をつらつらと書き綴っていこうと思う。


"人格" といえば、大人たちはよく
「人格形成において、人は子供の頃や思春期に見聞きし触れたモノに多大な影響を受ける」
なんて口を揃えて言っていたような気がするし、実際にそうなんだろうと子供の私も信じていた。
だが子供故にその"確たる実感"は未だ無く、「どうやらそうらしい」という思い込みだけ抱いて生きてきた。
だから「自分の核はこれだ」と思っていても、
それは実感の無いもので、単なる思い込みに過ぎなかったのだった。


思えば私の初めての "読書" は小学生時代に出会った星新一のショートショートだった。

私の母は暇さえあれば本を読んでいたような人で、家にも様々な本があった。
そして何より母は理解のある人で、
私が勝手に本棚から蔵書を取り出してきて読もうが元の場所に戻せば何も言わなかったし、
特定の作品の読書を制限もしくは強要するような事も無かった。
たとえそれが作中に性的な描写を含んでいる娯楽のためのミステリー小説であろうと、
人々から偉大だと褒め称えられる純文学作品であろうと、だ。


そんな環境の中私は、星新一のショートショートと出会った。
出会いの経緯はほとんど覚えていないが、家の蔵書から掘り起こしたような記憶は無いので、
おそらく学校の図書室にでもあったのだろう。
まだ10年生きたかどうかというガキがあんなモノと出会ってしまった上に、
財布の紐を握っている母親の方が本に理解のある人間ときたものだ。
 未読の短編集を見つけてはすぐねだり、
  そして一つ返事で与えられ、
   まさに本の虫のごとく読み漁ってゆき、
 とうとう地元の書店の棚にあった星新一著書の短編集をすべて読破してしまった。
おそらく十冊はゆうに超えていたように思う。
 (余談だが、星新一の短編集は全部で39冊存在するらしいので、
  フリークからすればまだまだ大したことは無いのだろう)

また、そんなガキのうちに星新一作品というひとクセあるモノと触れてしまったが故か否か、
大人たちからずっと「飄々とした性格をしている」などと言われ育ってきた。
そんな事実もきっと思い込みに拍車をかけていたのかもしれない。


このような経験があったから、
「これが私の原点で、星新一のショートショートこそが原典であり、
だからこそ原典など無く、すべてが寄せ集めの"短編集"が"私"なんだ」
と思い込み、勘違いしてしまっていた。その良し悪しは別として。


そして、勘違いをしたまま歳だけ重ねてしまった子供の私に突き付けられたのが、
アニメ版「すべてがFになる」の第5話だった。
私はこの原作を過去に1度だけ読んでいる。
確か小学生高学年か、中学生になってすぐくらいの頃だったように思う。
この、"1度だけ読んだ" フィクションのミステリー小説こそが私の原典そのものだった。

原作を読むなり、アニメを5話まで見ていただければ分かるので詳細な説明は省くが、
この作品は主人公の犀川創平とヒロインの西之園萌絵との問答が構成の少なからぬ部分を占めている。
その問答の、ちょうどアニメ第5話で描かれた犀川創平の言動が、
西之園萌絵の感性と生じるすれ違いが、
まさに私そのものといっていいほど酷似していたのだ。

―ああ、これは自分自身じゃないか
――彼を真似ようだなんて一度も考えた事は無かったはずなのに
―無意識に似てしまっていたのか
―"自分に確固たる原典は無い" なんて思い込んでいたのに
――蓋を開けてみれば、架空の物語の、架空の人物を原典とする模造品に成り果てていたのか―――


オリジナルはそこにあった。
自分は私が考えていたような "方々から収集して作り上げた傑作集" などではなかった。
ただただシンプルに、たった1つの "原典" がそこには核として存在していた。

自分は私が思っていたよりもずっと、つまらなく単純なつくりをしていた。
今となってはもはや過程も思い出せないが、最終的に今、辿り着いたその人格その核は、
あれから十余年もの道程があったはずなのに、
その十余年も前にただ1度きり触れたあの作品の彼だったのだ。

何も私の人格すべてが犀川創平だというワケではない。
だが、それを構成する核になる部分が、存在しないと思っていた核がそれだったのだ。
霧だけで出来ていると思っていたものが、
実は木星のように本当の中心にはきちんと実体としての核があったということだ。


こうして書いてみればなんて事はない「本当の自分は自分が考えていたようなモノとは違った」
ただそれだけの話なのだろう。
だが、それが私にはとても恐ろしく感じた。
無意識に模造品と成り果てていた事が予想だにしなかったから。
予想していなかった事実を突き付けられた恐怖を味わってしまった。
シリーズ全作読んだ訳ではないというのに。
単なる "娯楽" が人間の人格にクリティカルな影響を与えた、その事実を身を持って味わった。

この恐怖感こそがきっと畏怖というヤツなのだろう。
やはり娯楽は素晴らしい。

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